過食とダイエット(5)

今でも過食は治っていません。病的な過食かどうかは判りませんが、勤務明け、休日はどうしても食べてしまいます。逆に勤務中は食欲がないという感覚ではないのですが、食べなくても支障はありません。

やはり勤務中は何らかの「緊張・不安」があるのでしょうか?緘黙時代から緊張し過ぎて感覚が鈍ってる可能性もありますね。緘黙症が不安障害にカテゴライズされてますけど、私の感覚では学校へ行くのに不安感を持った記憶はないですね。よく言われるように休むという、ある意味目立つ事を避ける為に休まなかったというのはあると思いますけど・・・もう一つは頑なにルールを守ろうとする発達障害的傾向も否めませんね。

頭痛も当時は頭痛持ちという感覚はありませんでしたが、飲んでいたバファリンが今では全く効かないくらいですからかなり頻繁になっていたのでしょう。

常態化して慣れてしまったのでしょうか?普通は慣れたら治るんですけどね。慣れて不安や頭痛がなくなるのが普通だと思うのですが、症状には慣れても症状の原因には慣れないという「難儀な奴」ですね。横山やっさんの「難儀な奴ちゃな!」が聞こえてきそうです。

表面の意識から取り除く
というは適応の一つの形かとは思いますが、精神疾患を治りにくくさせる原因かも知れませんね。

家での過食は勤務中の不足分を補う為の反動の食欲の可能性がありますが、たまにお腹が一杯なのに詰め込もうとする時もあります。食欲を満たす事で不安感を減らすと言われてますから「何か」が潜在意識にあるのでしょうか?

ダイエットに関しては普通は容姿を気にするのでしょうが、私の場合はその部分はあまり大きくないように思います。醜形恐怖症の傾向よりは心気症の傾向が大きいと思います。

母を糖尿病で亡くした時に間接的にですけど、子供である私が糖尿病になる確率は50%と言われたのが心に刻み込まれていて、若い頃からサプリメントや塩分無添加の野菜ジュースを飲んだりと良く言えば健康オタクでしょうが、やはり心気症的傾向は否めません。

子供の頃は家庭の医学という本を読んですべての病気が当てはまるんじゃないか?なんて思った事があります。

今でも時々、目が見えなくなったらどうしようとか、手足が動かせない難病になったらどうしようとか考える事があります。

若い頃はそういう意識がとても強かったですね。「老・病・死」が不安でした。不思議なものですね。それらに可能性がより高い今の方が心が落ち着いているのですから。

忘れてました。「老・病・死」だけではなかったですね。一番強大なもの・・・「生」これを加えて四苦ですね。

しかも、四苦の一番最初が「生」です。さすがお釈迦様、すべてお見通しですね。


※今日の名言

『受け容れる事なくして、何も変える事は出来ない。非難は精神を解放するどころか、抑圧するだけなのだ。』 (ユング)

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