カツピコリンの独り言〜緘黙者人生〜

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zoom RSS 「やましたくんはしゃべらない」を読んで

<<   作成日時 : 2018/11/12 19:25   >>

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山下賢二著、岩崎書店刊の児童向けの絵本です。「こんな子きらいかな?」の3部シリーズの(3)となってます。このシリーズは『嫌われそうな子どもたちを「排除」「矯正」するのではなく、どう受け入れるか考えるきっかけにしてほしいと願って立ち上げた企画』だそうです。

「ガケ書房の頃」の内容を絵本に変えたものです。やましたくんの顔は緘黙児そのものに見えます。周りを警戒するような不安感が見事に描かれてます。

授業参観日に作文を発表しなければならない時にカセットレコーダーに吹き込んでそれを聞かせるという事で発表します。そんなエピソードが描かれてます。学校の先生の指示と両親の説得の末、迷った挙げ句の事でした。細かい経緯は「ガケ書房の頃」にしかありませんが。

あの仰天ニュースのカースティさんを思い出させます。カースティさんより前にそれをやっていたという事ですね。

私は山下氏は場面緘黙症だったと思いますが、この絵本にも場面緘黙症の言葉は一切出て来ません。書店主をやり、出版にも携わっている著者が緘黙症を知らないというのはあり得ないし、編集部の方がTwitterで「緘黙」という言葉を使っているので、著者は意図的に場面緘黙症という言葉を避けたと考えた方が良さそうです。

カテゴライズを避けたのでしょうか?カテゴライズはある意味「区別」ですから、差別に繋がる可能性があります。周りだけでなく本人も「そういうもの」と断定しがちです。「病気(障害)だから」と諦めかねません。

ここが難しいところで全ての緘黙症の人が病名を知って幸せになる訳でもありません。咋今の何でもかんでも○○病、○○症、○○障害とカテゴライズする風潮に警鐘を鳴らしている部分もあるのかも知れません。

「学校で喋らない(喋れない)子」がいるけど、どう接するの?という単純明快な問い掛けをしたかったのだと思いますが・・・

ただ、この絵本を児童が読んで「話さない子」を理解出来ないでしょうし、大人が読んでも緘黙症を知らなければ理解出来ないかも知れません。まさに『なんで喋らないの?』という私たちが受ける通過儀礼から離れられません。結局、「こんな子きらいかな?」のところまで届かないと思います。

おまけに帯に「しゃべってたまるか 山下けんじ」の自筆(当時の?)がある事によってややこしくなってきます。

「わざと喋らない」と勘違いされる可能性があります。「ガケ書房の頃」にもわざと話さなかったかのような表現もあります。

「正子の場合」でも教師の対応に「もう学校で口なんか利くものか」という部分がありましたが、強がりの部分もあり、実際問題、話せない事には変わりないと思います。「いつでも話せるんだよ」と思い込みたかったのでしょうか?

この辺りの心持ちは私にはよく判りません。

この絵本を緘黙症関連の本と捉えるのではなく、一つの絵本として違う方向から緘黙症に光を当ててくれる可能性に期待するしかないのかも知れませんね。

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