挨拶をしなくていい世の中

挨拶という言葉を聞くと緘黙症の人は心穏やかではいられないのではないでしょうか?

犯罪が起こると加害者、被害者の区別なく、「あの人は会えばきちんと挨拶をする良い人」「挨拶をしない変な人」のように人間性を測る物差しにすらなってます。

時の流れは恐ろしいもので、挨拶が出来なかった私ですら「アイツはきちんと挨拶が出来ないからダメだ!」みたいに批判する側になってます。

昨日、ご近所トラブルの特集をテレビ番組でやっていて、その中で最近はマンションなどで引っ越して来た時の挨拶や廊下で会った時の挨拶を禁じている所があると言ってました。プライバシー最優先という事らしいです。私の住みやすい社会になりつつあります(笑)。

仕事なら何の問題もなく挨拶出来ますが(私の特性です。公と私の無意識の区別)、未だに近所とかは苦手です。顔が引きつっているかも知れません。出掛けようとして玄関から出ようとした時に井戸端会議のような話声が聞こえたら、大事な用事でなければ終わるまで待ったりします。

挨拶が禁止される社会はどうなんでしょう?挨拶の裏側には力関係が隠れてます。「俺様に挨拶がない、けしからん!」みたいなものもあります。もっともそれが無用な争いを回避している部分もあります。一概にどちらが正しいか判断は難しいですね。

番組に出ていた、あるコメンテイターは「(挨拶が出来ないような)そんな奴はこの社会から出て行け!」と言ってました。この社会以外にあるのは自分の精神世界だけです。



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