寡黙な詩人(1)

明眸社のサイトのコラムに「詩人金井直の思い出」というのがありました。

『彼は非常に寡黙だった。私の家に電話がかかってきて、受話器を取ると「金井です」と一言。その後の沈黙が尋常でなく長い。一体、何の用で電話をくださったのか、分からない程だった。』というのを見付け、早速、淡い期待を胸に図書館から著作を取り寄せました。

金井直(1926年3月18日~1997年6月10日)は詩人で随筆家です。奇しくも私と同じ、北区西ヶ原の生まれです。

手に取った本は「随想集 失われた心を求めて」(自然と科学社刊)題名で期待が膨らみました。「失なわれた心」期待通りです。その心を求めているのは私の方です。

でも、結論から言うと、金井氏は緘黙ではないようです。題名の「失なわれた心」もいわゆるメンタルの問題の事ではありません。

ただ、シャイな人に共通する事なのか、まるで私の事を書いているかのような記述がありました。

『 私は人嫌いである。人との付き合いを努めて避ける。その方が自分の精神衛生によいからである。しかし、その為に生きにくい人生になっている。こんなだから、人の集まったところへ顔を出すのも苦手、まして話をするなど途方もない事だ。が、人はどこかで人に関わり、耐えなければ生きていけないのである。』

う~ん・・・本当は人嫌いだからうまく話せないのではなくて、話せないから人と離れたくなるんですよね。話せない自分をこれでもかと見せ付けられるのはとても辛い事です。針のむしろです。

だから逃げてしまいます。自分は人嫌いなんだと自分自身に言い聞かせる事がやがて習い性となります。

人と関わらなければ生きていけないのは当然なんですが、「耐えて」という言葉が「失われた心」とともに
金井氏の葛藤を表しているように思います。その辺りは次回に。

『私は元来、自信もなく、自己顕示欲もないたちなので、つい反省の方が先に立ってしまうのである。無数の視線にさらされる事にどうしても慣れないのだ。考えている事の十分の一も話せない場合が多い。高い所に立って偉そうな事を平気で話せるほど神経が太くない。』

これは金井氏が講演の事を書いてる部分の記述です。話すのが苦手と言っても、講演をやったり、講師をやったりしてる訳ですので緘黙とはほど遠いシャイネスですね。

「反省が先に立ってしまう」はどういう意味なんでしょう?話そうとする事を頭の中で咀嚼している時にこんなんじゃダメだと打ち消してしまう事を指しているのでしょうか?

この他にも私と似ている部分はかなりあります。その部分は病前性格と言ってもいいかも知れません。


To be continued

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