柄谷行人・・・

ジャーナルさんの記事の柄谷行人氏、私は寡聞にて知りませんでしたのでちょっと調べてみました。

柄谷氏は1975年8月~1977年1月の間、イェール大学で客員教授として教鞭をとっていたそうです。だとすると「アメリカの医師に相談するとそれは場面緘黙症だ。何もしなくてもそのうち直る」と言われたのはこの時期と思われます。

柄谷氏はこの頃、34、5歳のはずですが、なぜこの歳になって?という疑問が出てきます。小学校2年までの2年間、言葉が悪いですが「たった2年間」なのにです。緘黙期間とダメージは必ずしも一致しませんけど・・・

いわゆる「緘黙の後遺症」を引きずっていたのでしょうか?

幼稚園に関しては奇しくも柄谷氏が6歳の年に法制化しましたが、幼稚園そのものは明治時代からありました。特権階級の私塾的なものだったと思われます。戦後、しかも直後の混乱期なので幼稚園には行かなかったと勝手に判断しました。

柄谷姓は尼崎市上坂部が本処で尼崎市、伊丹市に多く分布しているそうです。読みは「からたに」「がらたに」「からや」「ツカタニ」「ツカヤ」などです。

問題は尼崎市。言わずと知れた「イジメのメッカ」です。次から次へ起こる事件を考えるとイジメはこの地域の「風土」「気質」と言わざるを得ません。

この尼崎市で辛い緘黙時代を過ごしたというのは想像に難くありません。改めて緘黙症の後遺症の根強さを認識させられます。それぞれの人の緘黙時代の解釈の問題かも知れませんね。

緘黙は柄谷氏の哲学に少なからず影響を与えたと思います。むしろ、哲学への興味自体が緘黙ゆえのものかも知れません。

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