近況(2)

最近は何かに追い立てられるように断捨離をしています。終活と言ってもいいかも知れません。先日、テレビで孤独死と遺品整理業者のドキュメンタリーをやってましたが、ホント遺品整理は大変なんです。父の遺品整理で身に染みました。孤独死予備軍の私としてはいつお迎えが来てもいいように家には物がほとんどない状態にしておきたいものです。

「不要不急の外出」という言葉が飛び交ってましたが、ほとんどの外出が不要不急のような気がします。それと同じように家にある物で本当に必要な物って少ないように思います。

箪笥も全て処分しました。仏壇も処分しました。母が亡くなった時に買い、父がすぐに蝋燭の火で焦がしてしまい、それから40余年そのままになっていました。中にある木製のちゃちな阿弥陀如来も塗装が剥げ落ち、光背も欠けていたので廃棄しました。

仏壇はなくてもいいかなと思っていましたが、取り敢えず、小さい仏壇をヤフオクで購入しました。

ここまでお読みになった方の中には「この罰当たりめ!古い仏壇の魂抜きと新しい仏壇の魂入れをしないと大変な事になるぞ!」と思われる方が多少いるのではないかと思われますが・・・

物質に魂が入る事などあり得ません。魂など存在しません。あくまでも私の考え方ですけど。

幸いにも我が家の宗教、浄土真宗では仏壇や位牌に魂が入るなどという考え方はしません。そもそも浄土真宗では位牌すら必要ではありません。ただ、世の中の慣わしに合わせて、位牌や仏壇の魂入れなどを行なう浄土真宗の寺院もあるようです・・・お布施貰えますからね。

仏像も魂入れをしないとただの置物などと真剣に言っている人を見掛けますが、元々ただの置物です。仏教もキリスト教もイスラム教も偶像崇拝は禁じているはずです。本来は仏像やキリスト像に手を合わせている事自体が間違いなんです。

まあ、信仰は自由なので・・・

浄土真宗の教えは単純明快です。阿弥陀如来に帰依して、南無阿弥陀仏をひたすら唱えるという他力本願です。

「はからいを捨てる」という事です。森田療法の森田正馬博士と同じですね。森田博士は禅宗の影響を受けたと思っていたのですが、浄土真宗の影響も少なからずあったのかも知れませんね。

森田療法で神経症を治したという倉田百三の著作には「出家とその弟子」「法然と親鸞の信仰」など浄土真宗に関わるものが多いですね。森田療法を受ける前から浄土真宗の信者なのか、受けた後に阿弥陀如来に帰依したのか、判りませんが興味を引かれるところです。

「はからいを捨てる」とは例えば、パニック発作が起きた時にその症状をどうにかしようとか、助かりたいとか、そこに意識を置かずに「諦める事」です。それが症状が消える事に繋がります。一度他者に運命を委ねてしまうんですね。

その諦める、他者に委ねる事を可能にする為に阿弥陀如来やキリストを「方便として」利用する事は宗教嫌いの私でも否定はしません。宗教の本来の目的はそういう部分にあるのかも知れませんね。

因みに倉田百三選集というのを仏壇とは関係なく、購入して読んでいるところです。別々な事が一つに繋がったりしますね。

これが阿弥陀如来の導きなのか?

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