緘黙本について

少し前にジャーナルさんの記事に「メルカリで緘黙の本を売る人たち」というのがありました。

もし、緘黙が治って不要となったのなら喜ばしいというような事が書いてありました。その通りですが、緘黙本を必要とするレベルだと少なくとも当事者であれば手元に置いておくのではないでしょうか?

表面上、話せるようになっても、声が小さいとか、雑談が出来ないとか、いわゆる後遺症が付きまとっている可能性が高いと思われます。その状態で「緘黙」とさよなら出来るでしょうか?

以前、緘黙保護者の会の会員が自分の子供が緘黙を克服してしまうと脱会してしまうような事を読んだ事がありますが、これはやはり親と言えども当事者とは意識が違うという事だと思います。

緘黙を俯瞰している立場と緘黙に浸かっている立場の差でしょうか?

私は以前から余命宣告を受けたら、緘黙や森田療法など精神疾患に関わる本はこのブログを通じて、お譲りしたいと考えています。

緘黙本が古新聞や週刊誌など一緒に「ゴミ扱い」されるのは忍びないです。化けて出ます!(笑)

本に関しては私の場合はジャーナルさんとは逆に古本がメインですね。基本、新刊書に食指が動きません。たくさんの無駄使いをしてきているのに本とか食品には、同じ物なのに値段が違うというのに敏感です。性格なんでしょうね。

中学だか、高校の時に映画に誘われて「一年待てばテレビでやるから」と断った事があります。不要不急と考えてしまいます。不要ではないけれど不急ですね。実際、その後、テレビで放映されました。

今年の3月くらいに今まで読んでなかった緘黙本を数冊読みました。「緘黙の声」以外はAmazonの古本です。ほとんど緘黙の経験談の本ですが、経験談はブログでたくさん読んでいるので「不急」だったのでこのタイミングになりました。

先日も「しゃべらない子どもがおしゃべりな大人になったらしい~緘黙と二人三脚で生きるお話~」(nao著・まんがびと刊)を購入しました。90頁ほどのペーパーバックですが、自身の経験談をさらっと流して、具体的な支援方法、支援と過保護の違いなどが簡潔に書いてあり、好著だと思います。当事者というより保護者、教育者向きかと思います。著者はポエム作家でもあるので緘黙児の気持ちをポエムにして散りばめられています。

他の緘黙本に関しても機会がありましたら言及したいと思います。

それにしても著者は皆、女性とは・・・

お読み頂きありがとうございます。

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